がらんどう

雑感.

春休み

あと1本レポートを提出すれば無事春休みを迎えられることになる。

今期の試験期間前は慌ただしくて、全ての科目に対して充分な勉強時間がとれなかったし、それがパフォーマンスにも如実に表れてしまった。

もっとできたなぁと思うし、成績は卒業まで残ってしまうので、反省している。

とはいえ終わったことはどうにもならないので、来学期からはきちんと全科目で納得のいく成績を収めたい。

成績がよいからといって研究に直結するわけではないけれど、

小さなタスクを乗り越えられずして大きな成功はないと思っているので。

 

さて、春休みは適度にのんびりしつつ、有意義に過ごしたい。

やりたいことは書いておかないと忘れてしまうので、ブログをメモ代わりにします。

・ダンスのレッスンに毎日行く

神経心理学認知神経科学脳科学に関する本を読む

・数学を勉強する。まずは微積分と線形代数から

・英検1級の勉強をする

・多読とフォニックス学習をする

・映画を沢山見る

・英語カフェに行く

・温泉に行きたい

猫カフェに行きたい

・フランス語の中級文法と発音を勉強する

フィンランド語を勉強し始める

 

ところで最近、マウンティングされることが多くて非常にしんどい。

そういう状況だと無能感も強くなるし、それが努力態度に如実に反映されているのも感じる。

人に勝つために何かをやっているわけではないけれど、こちらもただのほほんと生きているわけではないので、

悔しいからやれることは着実にやりたいと思う。

行きたいところに行って、やりたい勉強ができるように。

これをやってどうなるの?ということはとりあえず考えないでいいかなと思っている。

要領がいいことを自覚している人と、自分が勉強している・できていると思っている人にだけは絶対に負けたくない。勝つことに意味がないとしてもね。

 

今回はここまで。とりあえず、きちんとレポートを出します。

今年の振り返りと来年の抱負

実家に帰ってきました。

前回帰省したときよりはゆっくりできそう。

とはいえ、タスクは確実に消化しておきたいところ。

 

さて、2017年はひそかに目標を立てていました。

漠然とした目標で、どこにも書いていなかったけれど。

せっかくブログというものがあるので、来年の抱負とともにここに書き留めておきたい。

・英語上級に入る→達成。ただし、これに関してはまぐれ。でも入れてよかった。

・英検準1級取得→6月に達成。

TOEIC受検→9月に達成。800点くらいとれたらいいなと思っていたけれど、895点だった。

不登校支援のアルバイトを始める→6月から今にかけて継続中。

・習い事の発表会に出る→2月の発表会に向けて現在リハーサル中。達成。

本当にぼんやりと思っていただけの目標だったけれど、

何となくその方向に向かっていけたので、ぼんやりとでも自分の目指すべき方向を決めておくのは大事なのかなと思ったり。

来年の抱負に関しても頭の中にぼんやり留めておければよいかなと思うのですが、忘れっぽいので書くだけ書いてみます。

・英検1級取得、まずは5月に受ける。

・TOEIC950とる

フォニックス学習を続ける

・英会話カフェに行く

・バレエに通う

・積極的にダンスのレッスンを受ける

あまり多くてもと思うので、核になるのはこのへんかなと。

 

あと、最近気づいたことだけれど(遅い)、

私、「一定量を毎日こつこつ」に本当に向いていない。

元々過集中なところがあって、やるときは何時間でも求める水準に達するまで突き詰めるけれど、

飽きっぽいしやるときとやらないときの差が激しい。

これは治すべき習慣だと思っていたのだけれど、どうやらそういうわけでもないのかもしれない。

自分の特性を受け入れて、それに合ったスタイルで、やりたいことを達成していきたい。

 

進学や就職についても真剣に考えないといけない頃。

漠然と海外に行きたい、なんて思っているけれど、

本当に行くならリサーチしなければとも思う。

セルフハンディキャッピングしがちなので、

適度に自分を鼓舞しつつ、能力は一旦置いておいてとりあえずやりたいことをやる!というくらいの気概をもてたらよいのだけれど。

 

いずれにせよ1年全体を俯瞰する暇もなく、1月は目まぐるしく過ぎるだろうから、

その都度やるべきことをしっかり消化していきたい。なるべく早めに。

今年はここまで。

 

社会的に無能であること、でも生きねば

最近、他人の何気ない一言が刺さる。

例えば、「知っている人を見かけても挨拶しない人間は何様のつもりなんだ」と、私を含む全体に向かって発言した人がいたとする。

そのとき、「もしかしたら私は自分で気が付かない間に相手と同じ空間にいて、挨拶をしなかったのではないか。その場合わざと無視したわけではないけれど、相手にとって自分はとてつもなく失礼で、生意気で、嫌な人間になってしまったのではないか」

というような信念が(自分でも馬鹿らしいとは思っているのだが)何度も何度も頭の中を巡る。

実際私は視力がかなり悪いし、移動中などは主に画面や景色を見るなど人の顔には注目せずに過ごしているので、ありえなくもない話なのだ。

そうして、自分は人によい印象を与えることができない、まともなコミュニケーションがとれない、皆に嫌われているような気がする、そういう人は何をやったって成功しない・・・というような負の思考ループに陥る。

認知行動療法なら即刻修正されるタイプの自動思考だ。でも抜け出せない。

 

他人には私の認知はかなり歪んでいるものとして映るだろうし、

認知の歪みを治すべきだと、10人いたら9人はそう言うだろう。

でも私自身はそういうものも含めて私だという思いがあり、

自分を肯定できるような自分、なんてそれこそ否定したい類の自己像だ。

ある点において有能であると思ったり、他者に好かれていると感じたり、

そういう自分に対する肯定的な信念は自分をつけあがらせ、堕落させるような感じがしてしまう。

治したいとは思わない。でもこんな自分が生きていていいのかと思うことはある。

 

それでも、生きていかなければならないから、

それを自分に言い聞かせるために今この記事を書いている。

人間的に欠陥があると思われていたって、視線が冷たくたって、かわいがられなくたって、無能を笑われたり呆れられたりしたって、

私は勉強していい。

他者に受け入れられていないと感じるとき、

「人間的に欠陥がある奴なんて、たとえ勉強や研究といった個人プレーが中心となる場面でも絶対に成功しない。いくら勉強したって無駄だ。勉強して賢くなろうということがすでにおこがましいとは思わないか。」

という声が自分を責める。

でもやらなくちゃ。

人間的に欠陥があるなら、勉強しないと生きていけないから。

それに、何より勉強したいから。

勉強とは孤独との戦いだ、最後は一人でやらなければならないから、

みたいなことはよく言われるけれど、

私は物理的な個体としての「一人」で戦うだけではなくて、

前述したような、精神に向けられた無数の棘に抗って、

身を縮めながら、でも大胆に、勉強していかなかればならないのだ。

 

最近は他人の有能さそのものだけでなく、

その人がその有能さを他者に認められて幸せな選択をしているのを見て、

本当に自分がちっぽけに思える。

無能で、誰からも必要とされていない自分が。

他人を妬んでばかりで中途半端な努力しかしていない自分が。

そもそも、妬んでしまう自分が。

 

でも、生きていかなきゃ、勉強したいなら、しなきゃ。

誰に認められなくても、しなくちゃ。

死にたくなったら死ねばいい。

 

 

 

 

やりたいこと

1週間強で5つのタスクを消化し、一段落。

本当にすべて終わるのかと焦っていたので、我ながらよくやったと思う。

また、そのタスク自体が有意義なものになったため、充足感もある。

短期間でやるべきことを自分の納得のいく水準でこなせたこと、

調べたデータが自分自身の知識のうちに取り込まれたこともあって、

少し自信がついてきた。慢心は禁物だが。

ここ2週間ほどずっと作業に追われ、ほぼ余暇がなく、趣味で気を晴らすこともできなかったため、

逆に作業していないと落ち着かなくなってしまった。

適度に休みたいと思いつつ、これからやりたいことをメモ程度に。

・研究計画

・英語 (単語、上級文法、精読、フォニックス。なまじっか英語が読めるようになってきただけに最近は流し読み・意訳してしまいがち。悪いことではないだろうけど精読する力も底上げしていきたい。)

・フランス語 (単語、文法、発音)

・数学 (中学数学からやり直したい)

・神経生理学 (最近全く本を読めていない・・・先行研究と併せて読みたい。)

フィンランド

・映画論テキスト、授業範囲外も読み進める (最初は言っていることがわからず興味もなかった映画論だったが、単純に興味が出てきた。)

普段はタスクに追われているので上記のいずれかにどっぷり浸るということはできないだろうが、

時間ができるのを待っていたら多分一生達成できないので、

1日20分くらいでも時間が取れたらいいなあと思っている次第。

混沌

前回記事で何を書いたか覚えていない。

たぶん前回もまた救いようがない内容だったのだろう。

 

Twitterを辞めた。

鑑賞メーター読書メーターを使い続けるために1つだけアカウントを残したけれど、ログインしていない。

他人の生活について知るのに疲れてしまった。

 

私はとかく、ひとと比べてしまう。

「ライバルをつくってがんばる」「友達と一緒に勉強する」というのが本当に苦手で、

自分が何かをすることにおいてできれば誰のことも意識したくない。

もちろん、教授や先生や先輩や、「こういう風になりたい」と思わせてくれるひともたくさんいる。

同輩の友人に関しても距離を誤らなければ、また情報との接触頻度が適切であれば、「このひとはすごい、私も頑張ろう」と素直に思える。

 

だが、Twitterをしている限り他人の生活に関する無数の情報が入ってくる。

特に何らかの事情で自尊心が削れているときなんかは本当によくない。

無能感に苛まれ、自分はこの先何もできないのだという思いや、

何もできていない自分に対する焦りや罪悪感がひしひしと押し寄せてくる。

最近はずっとそういう使い方になってしまっていていたので、百害あって一利なしと思い、他人と繋がっているアカウントは消してしまった。

まあでも習慣というのはなかなか打ち破ることができないもので、

中学生のころから8年間 (!) もTwitterのヘビーユーザーであったため、

なんだかんだで毎日、フォローフォロワー0のアカウントから公開アカウントの友人を検索して閲覧してしまっている。

それでも以前よりは、多少精神衛生がよくなったような気がする。

電車の中で本を読むことも増えた。

 

タイトル「混沌」。

最近は自分が何をしたいのか全く分からない。

何かに対する強い情熱は一瞬燃え上がってはすぐに冷めてしまう。

これのために何もかも捨てよう、と思えるようなものもなく、

やっていることは(なんらかの事情で優先順位は生じてくるわけだけれども)私にとってすべて大事で、すべて諦めたくない。

でもそのすべてを自分が求めるくらいの水準でやるには、時間も体力も圧倒的に足りない。

結局私は大学の4年間で、やりたいことの何一つ満足にできないまま終わってしまうのではないかという思いが強くなっている。

 

卒業後はアカデミアでやっていきたいと思っていたが、

意識だけは高く読書も勉強も人並み程度にしかやっていないので、ここにきて迷ってしまっている。

ただ、大学院には進学すると思う。

大学院に進学するにしても、今の大学に残るか、それとも東京を離れて別の土地に行くかで迷いが生じていて、

東京を離れて別の土地に行くのはそれはそれで自分のキャリアにおいてよい影響を及ぼすだろうけれども、

ようやく東京での生活に慣れ、その便利さを享受し、

よい習い事やアルバイトに出会って身を落ち着けているのに、

それらすべてを捨てることができるのだろうか、という思いもある。

そう考えたときにやっぱり私の学問に対する思いは中途半端なのだなあと思う。

 

大学で与えられた課題はきちんとこなしたい。

一方で、授業に関係ない本も読みたい。映画も観たい。毎日ダンスのレッスンに行きたい。アルバイトもしたい。歌もうたいたい。

せめて体力があれば、時間も捻出できるのにと思う。

 

とりあえず、SNSを離れる生活はもうしばらく続けてみようと思う。

毎日自分にとってややハードなルーティンを生きるだけで、

何となく気力も体力も削がれているような生活に、彩りが添えられますように。

しんどい

最近本当にしんどい。

季節の変わり目だったり、気温差が激しかったりで周囲も体調を崩しがちであるとは感じるが、それでも皆そこそこ上手くやっているのですごいと思う。

 

ここ1週間ほどは本当に体調が悪い。

寝ても寝ても眠いし、気分は晴れやかとは言えないし、キャパシティに比してあまりにもやることが多い。

地面すれすれに低空飛行して何とか乗り切ってきたが、タスクをどんどん後ろ倒しにしてしまっていて、そう遠くないうちに破綻するような気がする。

読みたい本ややりたい勉強は山ほどあるのに、そのうちの一つもする時間あるいは体力がない。映画も結局は期限内に観られないまま返してしまうことも増えた。

そういうときというのは外部に癒しを求めるのもまた一苦労で、

食べたいものがなくなる。行きたいところに行く気力がなくなる。というか、行きたいところもなくなる。

という具合に、とにかく身体を覆う霧のようなものが何かの拍子にパッと晴れてくれるようなことでもないと、ただただ前向きに生きることが難しく、しんどい。

 

最近はある程度確信がもてていた、あるいはある程度は開き直っていた自分の能力に関しても、とにかく無能感がすごい。

今も昔も男性には負けたくないという思いでやってきたが、

思いがけない人が私の思っていたよりずっと成績がよいということがわかって、

まだまだ上を見なければならないのか、とか、

こんなんでアカデミアでやっていけるのか、とか(現状本当に無理な気がしている。能力云々もそうだがメンタルが弱すぎる)、

自分に対する信頼性は下がる一方で、そうなると当然自分の進むべき方向も、動機づけも失われてくる。

 

また、昔の両親との確執や学校での不適応を思い出すことも増えて、しんどい。

色々あってから両親も変わったと思っていたが、最近根本的なところは何も変わっていないのではないかという思いになることが多い。

母は以前私がとある精神疾患にかかったとき、

「私だって落ち込むことはある」「そんなことで病気と言っていたら皆病気」というようなことを本気で言っていた。

その精神疾患というのは医師に確定診断を受けているものであったし、

明らかに一般の人がもつような「落ち込み」とはその程度においてかなりの差があるはずなのに、

その差を理解しようともしなかった、というか、母にとっては自分の推論こそ絶対的正義であったのだと思う。

そしてその態度は今も変わっていない。

私は多分発達障害だ。

色々な制約があって確定診断はまだ受けていないが、

注意欠陥型のADHD自閉症スペクトラム障害を併発していると思う。

そして私の異常なまでの集団における「やっていけなさ」を、これまた母は理解しようとしていない。

口調こそ柔らかいものの、

「そんなことで障害と言うなら私にも障害がある、皆ある」「何でも障害のせいにするな(「何でも」障害のせいにしたつもりはないし、むしろ障害の可能性を考えるまでは自分の「やっていけなさ」を精神発達の未熟さや傲慢さに帰して自責していたほどである)」という台詞を、数年かぶりにこの耳で聴いてしまい、萎えてしまった。

 

正直こういう状態になると、健康に生きている人が心底妬ましくなる。

もちろん、個々人がそれぞれに特有の悩みや事情を抱えて生きているというのは想像できるが、

それでも体力だったり、情動の安定性や気質だったりと、

おそらく一般的にある程度までは遺伝や脳の器質性で説明される、つまりある程度生得的なものについてハンデを感じることは多い。

 

来週末には溜まったタスクが全部終わっているのか、そんな平穏な来週末が訪れるのか、正直なりゆき任せである。

とにかくしんどい。しんどかったので、しんどい記事を書かせてもらった。

明日は新しいアルバイトの面接がある。

とりあえず、目の前のことをひとつひとつこなせていけば、報われるだろうか。

今日はここまで。

取捨選択

秋学期が始まって2週間経った。

今のところは無遅刻・無欠席で、予習や課題も求められる最低のレベルを維持しつつ、消化している。

と書きつつも、今は締め切りが3日後のレポートを抱えている。

何とか納得のいくものを書き上げられたらいいが。

 

秋学期開始前後は自分の無能感に悩まされていたが、最近どうでもよくなってきた。

今も昔も自分は無能であるという信念が根底にあるため、

何か結果を得られた際には必要以上に誇示し、努力をアピールし、他人(主に先生など、充分に能力があって他人のそれを正当に近い形で「評価」できる立場の人)からの評価を異常なほどに気にしてきた。

それは学業や語学力など、知的能力に関わることに限定されない。

自分が相手にとってどれくらいの優先順位や立ち位置にいるのかに敏感で、

自身の劣位が確認された際には自分が能力などを差し引いたありのままの「人間」として必要とされていないことに落ち込み、ときには相手を恨み、孤独感に陥った。

 

でもなんだかそれも、もうどうでもいい。

 

思えば大学に入ってから、似たような境遇の友人とばかり付き合ってきた。

浪人して、第一志望の大学を落ち、勉強が好き(少なくとも嫌いではない)で、在籍校では上位に入る能力のある人たち、そして多くは社会活動(サークルやインターン、就活など)に熱心ではない、むしろその価値に懐疑的でさえある人たち。

楽しかった。話が合うし、高め合える気もしていた。

でも最近それにも疲れてきた。

彼ら彼女らの多くは、周囲がアカデミックなことにあまり関心がないような環境の中で、「努力が並外れていること」「学業に熱心であること」について普段評価されることが少ない。

だからそれを認めてもらう、あるいは自身でその価値を正当化するには、どうしても周りにアピールするしかない。

学問に熱心で、なおかつ競争心が強い閉鎖的なコミュニティの中で自分の能力や努力を誇示し、いいね!をもらい、今度はまた別の人が同じことをする。

そのようなやりとりに最初こそよい刺激を受けていたが、

最近は何だかくだらないな、と思う。

 

私は誰に評価されなくても、自分のやりたいことをしたい。

もちろん、自分のポリシーとして、小さな課題であっても自分の最大限の力を尽くして取り組む、そうじゃないと勿体ない、ということがあるので、学業はこれまで通り、真面目にやろうと思う。

でも、真面目にやっているだけでは、こんなに努力しましただけではやっていけないのだと思う。

私が本を読むのは、勉強するのは、よい評価をもらうのは、自分の存在価値を確かめるためではなくて、それが私のポリシーだから。やりたいことだから。

わざわざ狭い世界で競う必要なんて、ないはずだ。

 

対人関係にしてもそうだ。

今仲良くしてくれている友人には感謝している。

人と話すことは単純に楽しい。

でも、それも承認を得るためじゃない。

相手に自分の存在を誰よりも一番と思ってもらうには、自身も相手に自己開示しなければならない。

でも、私は今までもこれからも、最後に自分を救えるのは自分だと思っているし、

単純に自己開示することが苦手だ。

他人にオープンでいられることが、他人を信頼しきれることが、単一的に価値をもつことではない。

私はこのままで、自分を見失わずに、自分の足で立っていたい。

 

現在の目標や興味のあることは、

とにかく目の前の課題をしっかりこなすこと。

英検1級取得に向けて英語の勉強を続けること。

自分のために、読書をすること。

発達障害支援のアルバイト。

いつになるかわからないけれど、数学を学び直したい。やっていて損はないと思うから。

プログラミングもかじってみたい。

小さなことでは、髪をベリーショートにしたい。

継続的に身体を鍛えたい。

好きな人に、恥ずかしくない姿でまた会いたい。

 

 

今回はここまで。