取捨選択
秋学期が始まって2週間経った。
今のところは無遅刻・無欠席で、予習や課題も求められる最低のレベルを維持しつつ、消化している。
と書きつつも、今は締め切りが3日後のレポートを抱えている。
何とか納得のいくものを書き上げられたらいいが。
秋学期開始前後は自分の無能感に悩まされていたが、最近どうでもよくなってきた。
今も昔も自分は無能であるという信念が根底にあるため、
何か結果を得られた際には必要以上に誇示し、努力をアピールし、他人(主に先生など、充分に能力があって他人のそれを正当に近い形で「評価」できる立場の人)からの評価を異常なほどに気にしてきた。
それは学業や語学力など、知的能力に関わることに限定されない。
自分が相手にとってどれくらいの優先順位や立ち位置にいるのかに敏感で、
自身の劣位が確認された際には自分が能力などを差し引いたありのままの「人間」として必要とされていないことに落ち込み、ときには相手を恨み、孤独感に陥った。
でもなんだかそれも、もうどうでもいい。
思えば大学に入ってから、似たような境遇の友人とばかり付き合ってきた。
浪人して、第一志望の大学を落ち、勉強が好き(少なくとも嫌いではない)で、在籍校では上位に入る能力のある人たち、そして多くは社会活動(サークルやインターン、就活など)に熱心ではない、むしろその価値に懐疑的でさえある人たち。
楽しかった。話が合うし、高め合える気もしていた。
でも最近それにも疲れてきた。
彼ら彼女らの多くは、周囲がアカデミックなことにあまり関心がないような環境の中で、「努力が並外れていること」「学業に熱心であること」について普段評価されることが少ない。
だからそれを認めてもらう、あるいは自身でその価値を正当化するには、どうしても周りにアピールするしかない。
学問に熱心で、なおかつ競争心が強い閉鎖的なコミュニティの中で自分の能力や努力を誇示し、いいね!をもらい、今度はまた別の人が同じことをする。
そのようなやりとりに最初こそよい刺激を受けていたが、
最近は何だかくだらないな、と思う。
私は誰に評価されなくても、自分のやりたいことをしたい。
もちろん、自分のポリシーとして、小さな課題であっても自分の最大限の力を尽くして取り組む、そうじゃないと勿体ない、ということがあるので、学業はこれまで通り、真面目にやろうと思う。
でも、真面目にやっているだけでは、こんなに努力しましただけではやっていけないのだと思う。
私が本を読むのは、勉強するのは、よい評価をもらうのは、自分の存在価値を確かめるためではなくて、それが私のポリシーだから。やりたいことだから。
わざわざ狭い世界で競う必要なんて、ないはずだ。
対人関係にしてもそうだ。
今仲良くしてくれている友人には感謝している。
人と話すことは単純に楽しい。
でも、それも承認を得るためじゃない。
相手に自分の存在を誰よりも一番と思ってもらうには、自身も相手に自己開示しなければならない。
でも、私は今までもこれからも、最後に自分を救えるのは自分だと思っているし、
単純に自己開示することが苦手だ。
他人にオープンでいられることが、他人を信頼しきれることが、単一的に価値をもつことではない。
私はこのままで、自分を見失わずに、自分の足で立っていたい。
現在の目標や興味のあることは、
とにかく目の前の課題をしっかりこなすこと。
英検1級取得に向けて英語の勉強を続けること。
自分のために、読書をすること。
発達障害支援のアルバイト。
いつになるかわからないけれど、数学を学び直したい。やっていて損はないと思うから。
プログラミングもかじってみたい。
小さなことでは、髪をベリーショートにしたい。
継続的に身体を鍛えたい。
好きな人に、恥ずかしくない姿でまた会いたい。
今回はここまで。