がらんどう

雑感.

混沌

前回記事で何を書いたか覚えていない。

たぶん前回もまた救いようがない内容だったのだろう。

 

Twitterを辞めた。

鑑賞メーター読書メーターを使い続けるために1つだけアカウントを残したけれど、ログインしていない。

他人の生活について知るのに疲れてしまった。

 

私はとかく、ひとと比べてしまう。

「ライバルをつくってがんばる」「友達と一緒に勉強する」というのが本当に苦手で、

自分が何かをすることにおいてできれば誰のことも意識したくない。

もちろん、教授や先生や先輩や、「こういう風になりたい」と思わせてくれるひともたくさんいる。

同輩の友人に関しても距離を誤らなければ、また情報との接触頻度が適切であれば、「このひとはすごい、私も頑張ろう」と素直に思える。

 

だが、Twitterをしている限り他人の生活に関する無数の情報が入ってくる。

特に何らかの事情で自尊心が削れているときなんかは本当によくない。

無能感に苛まれ、自分はこの先何もできないのだという思いや、

何もできていない自分に対する焦りや罪悪感がひしひしと押し寄せてくる。

最近はずっとそういう使い方になってしまっていていたので、百害あって一利なしと思い、他人と繋がっているアカウントは消してしまった。

まあでも習慣というのはなかなか打ち破ることができないもので、

中学生のころから8年間 (!) もTwitterのヘビーユーザーであったため、

なんだかんだで毎日、フォローフォロワー0のアカウントから公開アカウントの友人を検索して閲覧してしまっている。

それでも以前よりは、多少精神衛生がよくなったような気がする。

電車の中で本を読むことも増えた。

 

タイトル「混沌」。

最近は自分が何をしたいのか全く分からない。

何かに対する強い情熱は一瞬燃え上がってはすぐに冷めてしまう。

これのために何もかも捨てよう、と思えるようなものもなく、

やっていることは(なんらかの事情で優先順位は生じてくるわけだけれども)私にとってすべて大事で、すべて諦めたくない。

でもそのすべてを自分が求めるくらいの水準でやるには、時間も体力も圧倒的に足りない。

結局私は大学の4年間で、やりたいことの何一つ満足にできないまま終わってしまうのではないかという思いが強くなっている。

 

卒業後はアカデミアでやっていきたいと思っていたが、

意識だけは高く読書も勉強も人並み程度にしかやっていないので、ここにきて迷ってしまっている。

ただ、大学院には進学すると思う。

大学院に進学するにしても、今の大学に残るか、それとも東京を離れて別の土地に行くかで迷いが生じていて、

東京を離れて別の土地に行くのはそれはそれで自分のキャリアにおいてよい影響を及ぼすだろうけれども、

ようやく東京での生活に慣れ、その便利さを享受し、

よい習い事やアルバイトに出会って身を落ち着けているのに、

それらすべてを捨てることができるのだろうか、という思いもある。

そう考えたときにやっぱり私の学問に対する思いは中途半端なのだなあと思う。

 

大学で与えられた課題はきちんとこなしたい。

一方で、授業に関係ない本も読みたい。映画も観たい。毎日ダンスのレッスンに行きたい。アルバイトもしたい。歌もうたいたい。

せめて体力があれば、時間も捻出できるのにと思う。

 

とりあえず、SNSを離れる生活はもうしばらく続けてみようと思う。

毎日自分にとってややハードなルーティンを生きるだけで、

何となく気力も体力も削がれているような生活に、彩りが添えられますように。