empty mannequin
焦り.
いつしか自分が特別に恵まれた人間であると思うことはなくなったけれど、
賞賛されたい、承認されたいという思いはいまだに消えることがない。
最近になってあまり人目を気にすることはなくなった。
誰も私に興味がないということに気が付いたからかもしれない。
けれど、昔身を置いていた、いまよりもっと狭い世界に戻ったとき、
対等だと思っていた友人が一芸に秀でていること。評価されていること。活躍の場をもっていること。
全てに焦る。
だからといって、好きなものはあるけれど熱烈に追いたいと思うことはないし、
結局何かに対峙する動機が他人への対抗心でしかないのはその時点で負けている気がする。
勝ち負けという言葉を使っている時点で彼女らとの間に高い壁があるような気もする。
私がこだわっているのは技術それ自体なのに対して、彼女らが芸術の本質に関わるようなことを志していると、そこでも負けている気がする。
そもそも負けたってなんだって、やりたい、やろうという気持ちにならない時点で自分の志し方は邪道なのではないか。
そうやって逡巡して、結局のところやめてしまう。
だけど、邪道である限り芸術に向き合えない気がする。
私はそうして、自分の芸術への態度が変わるのを一生待ち続けるのだろうか。
邪道でもなんでも、まず始めてみよう、続けてみようと思うこともあるけれど、
本当に深刻に、体力がない。
出かけて帰ってくるだけでへとへとだし、ぼーっとスマホの画面を見ているといつのまにかかなりの時間が経っているというような毎日である。
体を鍛えようにも運動する体力がない。
結局いつも最低限のやるべきことをギリギリのラインで終わらせているだけで、
それでも自分は学業においては頑張っている、能力があると信じてやまない面もあるので厄介である。
とりあえず惰性でうたもおどりも続けてはいるけれど、
どちらにも理想や目標や熱意がもてず、何のためにやっているのだろうと思う。
でも、何かに責任を負うような気力も体力もない。
結局のところ、何かで成功したいだけ、承認されたいだけのような気もする。
ただ、英語とボーカルには関心がある。
少なくとも今までやっていて、惰性で続けていることよりは。
しかしいかんせん体力がないので、方向性も計画も何も定まっていない。
ただ、変えるなら今だよな、とも思う。
このブログはただの思考のアウトプットだし、
思考をきれいに整理することも何かを解決することも目的としていないけれど、
我ながらどうしようもないというか、優柔不断で八方塞がりな状況だなと思った。
変えられるところから、根本的にというよりは障害物を取り除く感じで変えられたらいいなとは思っています。まずはちょっとTwitterを離れようかなと。
全然行けていない稽古だって、いつか行ける日のために身体作りはできる。
ボーカルスクールやアルバイトについても少し調べてみようかな。
当面のところはこんなところです。